魔女には様々な噂や寓話がある。
教訓を含んだ童話、どこか灰暗い子守歌、あるいは儚い少女の英雄譚。
その中でも異質なのは、地下娼婦でさえ眉をひそめる
卑しき魔女奴隷＜スレイヴィッチ＞だ。
例え耳を疑うような話があったとしても、それには数多の真実が
含まれているに違いない。
なぜならそれが、魔女だからだ。



その森の集落には神都の暮らしを捨てた者が流れ着く。
その理由のひとつは、徘徊神が闊歩する霧の大地から遠く離れた
その地ならば力の無い者でも旅路を終えることができるからだ。

しかし神都の地下で眠り続ける女神の寝息に守られ、その守護と文明に
頼って生きてきた人々が、危険な外地で暮らしていくのは楽な道ではない。
知恵もないままに森深くへと足を進める者は、早々と命を落とすことになる。
そのため流れ者達の集落は、森の周辺部に位置するヤードロークの群生地にあった。

ヤードロークはキノコのように枝を広く伸ばして広い葉を茂らせる巨大な木で、
その懐の下で雨風や獣から旅人を守ってくれる天然の泊まり場だ。
群生地ともなれば、まるで木々の天蓋となり、その木漏れ日が差し込む
草地や太い枝の上には長年住みついた者の小屋がぽつぽつと立っている。

集落の多くの者は狩りや採集を生業として日々の糧を得ている。
森で希少な素材が採れたときには、神都からやって来る行商人へ
売って大きな稼ぎを得ることもある。
森深くに分け入れば懐は温かくなるが、命を落とすリスクも高くなる。
その中でも特に危険なのが、広大な森に点在している禁樹区と呼ばれる場所だった。

その一帯はひときわ魔素濃度が高い。珍しい動植物が数多く存在するが
人に死を成す影も潜んでいる。
縄張りを持つ恐ろしい獣、捕らえた獲物を生かしておき
次の獲物を呼び込む餌とする捕食植物、幻覚をもたらし
人を殺戮者に変えるキノコ。我欲にかられた愚か者が禁樹区に容易く立ち入れば、
さらなる犠牲者が増えることになる。

そのため樹守と呼ばれる者達が木々の間を巡り、常に目を光らせていた。
彼らは森の奥地に故郷を持つ先住民だ。危険な獣から守ってくれることもあるが
警告を無視して禁樹区へ入る者には容赦が無い。



ある日、その集落に奇妙な者が流れついてきた。
ぼろぼろの外套を深く被った顔は暗くて見えない。袖から覗く手は枯れ枝のようで、
苔むした彫像を思わせた。集落の者のほとんどは神都の下層地区や地下街に
住んでいたことがある。人の姿から多少離れた連中は見慣れていた。

奇妙だったのは、彼の持っている杖だった。肉色の陶器を思わせるその杖の先端は
花弁のようにヒダが重なった形をしており、その間から時折、
液体が染み出していた。中に水袋が入っているわけでもないのに、
液体はとめどなく溢れてくる。

ーああ、すまない。コイツは少し。調子が悪くてねー

その男はそう言って袖で拭いとる。
見慣れない妙な器具を見れば、彼が普通でないことは伝わってきた。
男は街の暮らしに疲れ、逃げるようにここへやって来たという。
しかし他の多くの者と違い、集落に留まらずに危険な奥地へ
足を運ぶつもりのようだ。

ー気にしないでくれ　私は、ただ人から逃げてきただけの　鼻つまみ者よ。
馴染めぬ性分ゆえな。ここに居ても迷惑がかかろう。
もう少し静かな場所で　居を構えたいのだー

彼がそう言って立ち去ろうとしたのを、恰幅のいい女が呼び止めた。
集落の飯処をあずかる年配の女性だ。あまり関わりたくはなかったが
野垂れ死にされても寝覚めが悪いと思ったのだろう。

「なあアンタ。いっちゃあなんだが、森の奥に行くなら気をつけた方がいいよ。
そんな身なりじゃ早々におっ死ぬのが目に見えるよ。
そもそもね。ここ以外、住むのに適したとこは少ないからね。
あと、トナちゃ・・樹守の二人に目をつけられないように気をつけな。
アンタその、見るからに・・」

女が言い淀んでいると、男はそれを察したのだろう。

ーああ。大丈夫。住む場所なら。持ってきておるよ。ご心配ありがとうー

見た目に似合わない礼儀正しい態度で、彼が深々とお辞儀をしたのを見て
女は少し驚き、目を丸くした。ここに流れてくる者に、
礼儀をわきまえている者は少ないからだ。
それにしても、持ってきている、とは不思議な物言いだった。
見たところ、手荷物は杖を除けば肩に担いだ革袋しかない。
それは、テントや寝袋にしては小さすぎる。

ーところで。その樹守というのは。なんだね？ー

彼は少し興味を惹かれたようで、ゆっくりと振り向いた。

「あ・・ああ、森ン中を見回ってる奥地の連中さ。自警とでも言うのかね？
ここいらにいるのは、若い二人の女さ。娘みたいな年ごろのね。」

それを聞いた男は不思議そうに首をひねった。

ー　さきほど貴女は、危険な場所だと言ってなかったかね？　
若い女には、ずいぶんと荷が重いように聞こえるが　－


「そりゃ奥地の連中だからね。森のことは知り尽くしているだろうさ。
それに、あたしゃ飯作るのが仕事なんで、あの子らが戦ってるとこなんて
見たことないけど、デカい獣に襲われて助けてもらったうちの旦那が言うには、
同じ人とは思えない戦いっぷりだったとさ。
だから魔女だって。旦那の命救っといてもらってなんだけど、
あの人、彼女達をえらく気に言ったみたいで困るよ、こないだもさ・・」

女は若い魔女とやらに熱をあげている旦那のグチを言い始めたが、
その顔は、まるで自慢の娘の話をしてるかのように、少し嬉しそうだった。
男はその長い話を、相槌をうちながら静かに聞いていた。

ーそれは・・それは興味深いー

誰にも聞こえないような小さな呟きが男の口から洩れたが
それには地の底から吐き出すような響きがあった。

女が喋るのに満足したあと、彼は人々をぐるりと見まわして言った。

ーできるなら、その魔女とやらの話、もう少し詳しく聞かせてくれんかね？
私もあんたの旦那と同じでね。昔、魔女に命を救われたことがあるのだ。
それ以来、話を聞くのが好きでね。他の方々の話も。
ぜひ聞かせていただけるとありがたいー

女はそれを聞いて少し安心したようだった。
神都の人々の魔女に対する反応は様々だ。危険性を叫び、憎しみや軽蔑を
持つ者も少なくない。一方で管理局による魔女への厳しい処罰を目撃し
同情する者も少なからずいた。

「そうかい。つい喋りすぎちゃったけど、アンタが魔女嫌いでなくてよかったよ。
神都じゃあ、その・・色々あるからね。嘘かホントか、わからないような話がさ。
誰も本物なんて、ロクに見たことないのにね。」

男はそれを聞いて首を振る。

ー魔女嫌いなど　とんでもない。私ほど魔女が好きな者は　そうはおらんよー

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