鎖が巻き上げられる音がする。

頭はぼんやりとしていて働かなかった。
あたりは暗くて何も見えない。
姫は自分の身体を動かそうとした。
しかし手足を動かすことは一切できない。
身悶えるたびに、自らの蠢くぎしぎしとした金属の音が
耳にさしこまれた金属棒を伝って頭に響いてくる。

「んぐ・・ぅ」

どうして・・・どうしてこんなことになったのだろう。

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ある王国に美しい姫がいた。
自由が大好きで、好奇心が強かった姫は
いつも城を抜け出しては民の子に紛れて遊んでいた。
小麦色の髪を振りほどいて路地をかけ抜け、澄んだ瞳でよく笑い、
知らないものを見るたび目を丸くして、
弱い者をいじめる子には果敢に立ち向かっていった。

やがて姫は成長し、その髪が腰に届く頃には
多くの教養を身に着けドレスに身を包むようになった。
一人の王女として立ち振る舞う姿は気品に包まれ
侍女の誰もがその美しさを褒めたたえた。
しかしそれでも、しょっちゅう衛兵の目を盗んで城を抜け出す悪い癖は
全くといっていいほど無くならなかった。

王はそのことが悩みの種だったが、それを禁ずることまではしなかった。
そのおかげで民の気持ちがわかる優しい王女に育ったからだ。
天真爛漫なところは変わらないが、いざという時は民を守るため
その身を危険にさらす気概もあった。
まだ一人前ではないが、すでに民の信頼は厚い。
きっと素晴らしい女王になるに違いない、王はそう考えていた。
それでも姫が城を抜け出した時は、衛兵に遠くからの監視を命じていた。
それが危険なことであることは承知していたからだ。

世の中には信じられない悪党がいるものだ。
人に助けを乞い、それに応えてくれた者を獲物にするような輩がな。
それを肝に銘じておかなければいつか命とりになる。

王ではなく一人の父として、娘を心配してそんなことを口にしていた。
しかし姫の回りにいる人々はみな優しい者ばかりで
そんな悪い者がいることが、とても信じられない。
きっと父がそんな恐ろしいことを言うのには
父の妹君である叔母に原因があると姫は思っていた。

叔母は父の命によって処刑されたという。
父はその話をしたがらず叔母のことを聞くたびに悲しそうな顔をする。
姫には小さな頃に叔母を見た、かすかな記憶があるのだが、
どんな人なのかまでは知らなかった。
街の噂では、悪魔にそそのかされた、敵国と通じて王国を破滅に導こうとした、
王家の秘術をつかって禁忌を犯した、私利私欲のために民を苦しめた、
みな言うことがばらばらだった。
本当の理由など、誰も知らないのかもしれない。姫はそう思っていた。


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その国では太陽が一番高くなる頃に新たな年を迎える。
そして次の年の初めには姫の誕生日があり、成人式典が行われる予定だった。
まだ身体は成長しきってなくとも、一人前の王家の人間として、
父の代役を務め、やがて次代の女王になるために
新しい一歩を踏み出すことになるのだ。
国は大きなお祭りに向けて活気づいているようだった。

咲き乱れた花が散るその時期に
姫はある少年と出会い、とても仲良くなった。
今まで街で見かけたことがない少年は、
すこし年下で身体も小さかったが、商人の父について
色々な場所を旅をしていた。
世界を見てきた眼差しは、すでに夏の日差しのように強く
大人の色を帯びていた。
その口から紡ぎ出される物語は楽しく、
姫はまだあどけなさが残る瞳を少年に向け
目をきらきらさせてその話を聞いていた。

二人は木陰に腰をかけ、色んな話をした。
大通りの喧騒から少しはずれたその広場には
緑や水場で涼をとりたい人達があたりに腰を据えている。
いくつかの露店や、冷えた果汁を抱えた売り子が歩いているのが見えた。

代々続くこの王都には、豊饒の力がある。
そう姫は聞いたことがあった。
王家の血には特別な力があり、それは死してなお
土地に恵みをもたらすとされている。
それが本当かどうかはわからないが、王都の内側では果実も良く実った。

少年は果汁の瓶を２つ買い、ひとつを姫に手渡した。
その腕はたくましく焼け、あちこちに小さな傷がある。
危険な目に幾度かあってきた証だ。
少年の冒険話にすっかりのめりこんだあと
姫は少し拗ねるようにして呟いた。

「いいなぁ、私なんてこの王都から一度も出たことないのに。
あなたみたいに早く旅がしてみたい。子供の頃からずっと憧れてるの。
羨ましいわ。」

姫は口をとがらせて冷えた果汁を啜る。
少年はとても驚いていた。

「ええ！？　ホントかい！？じゃあ湖で泳いだこととか無いのかい？
ボートに乗って魚釣ったり、もぎたてのローズベリーを食べたり、
ガラツボの実に水いれて投げっこしたり。」

少年があまりに目を丸くするので、姫は自分のことが少し
恥ずかしくなって、うつむいた。

「だ、だってお父様が許してくれないんですもの」

自分が城から抜け出すことを父が見て見ぬふりをしていのを
姫は知っていたが、父が王都の外に出ることは
絶対に許してはくれないこともわかっていた。
しかし、自分がお姫様だから。なんてバカげた話を
旅の少年に突然することもできない。
代々この街で仕立ての仕事をしている家柄で、
心配性の父が許してくれないのだと、姫は適当なウソでごまかした。
すると少年は、うんうんと大げさに頷く。

「わっかるよ。俺の親父もさ、ちょっと無茶しただけですーぐに怒鳴り散らすんだ。
大変だよ。心配性で困ってんだ。」

少年は大げさ手ぶりでうんざりした顔をする。
さっきの危なっかしい冒険話をしたあとで、彼がそんなことを言うのが
なんだか可笑しくて姫が笑うと、つられて少年も笑った。

しばらく話をしたあとに、少年は空を見上げて呟いた。

「そっか・・・それじゃ、君は本当の星空を見たこと、ないんだね。」

「あら。私だって星を見るのは好きよ。寝室の窓からよく眺めているもの」

「でも街の中からなんだろ？」

王都の主通りは大きな建物でひしめきあっている。
通りからは安息日にもかかわらず仕事の煙が立ち上っていた。
そのはるか先に姫が暮らす白磁の城が浮かんでいるのが見える。

少年が言うには、色んな街を見てきた彼にとっても
この王都はずいぶんと発展した街らしい。
その恩恵は夜の間もずっと明るく通りを照らしてくれている。
しかし一方で、人々の営みである煙が常に立ち昇っているのも確かだった。
星は光と煙に隠されてしまって、
王都の内側では本当の星空を見ることはできない、そう少年は言った。

「本当の星はもっと大きくて、そして王都の中で見るよりもうんと多くの、
何十倍もの星が空にはあるんだ。」

そう言って少年は両手を空に向けてぐるぐると振り回す。
姫には信じられなかった。

「うそよ。それじゃ空一面が星だらけになってしまうじゃない。
そんなこと考えられないわ」

「その通りだよ、特に今の時期はね。スゴイんだ。
俺が知ってる中で一番きれいなものがこの時期、山の上から見る星空なんだ。
息をするのを忘れるほどさ。このあたりなら街から少し離れた
丘の上から見るのが一番だね。」

そう言って少年は丘のある方向を指さした。
その様子を見ているうちに、姫は本当の星空というものを
見たくて見たくてたまらなくなった。
少年は振り向いて、よだれでも垂らしそうな
姫の顔を見ると笑いだした。

「あははは。オレ、君みたいに思ってることが顔に出る子、はじめて見たよ。
よかったら今度の安息日、一緒に行くかい？」

少年がそう言ったので、姫はさらに目を輝かせて頷こうとしたが
父の顔が頭に浮かんで、その顔は沈みこむ。

「・・やっぱりダメよ。子供の頃に、一度だけ街の外に出ようとしたことがあるの。
それがお父様にバレたとき、ものすごく怒られたもの。」

穏やかな父が激怒して、ほほを打たれたのを思い出す。
父に手を上げられたのはその一度きりだった。

「それって子供の頃の話なんだろ？、今なら街を少し出るくらい、
君の親父さんだって許してくれるんじゃないのか？」

悩んでいるうちに、姫がだんだんとカエルをつぶしたような顔に
なっていくのを見て

「ホント、きみって・・思ってることが顔に出るんだね・・」

少年はそう言って、また笑った。

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